潜在自然植生
ある地域、森において現存する植生が人為的干渉を受けている場合、その干渉を取り除いたと仮定したときに成立するであろう植生を潜在自然植生といいます。持続可能・持続可能と叫ばれる昨今、改めて注目されている植物生態学上の概念です。多種多様な郷土種による鎮守の森と屋敷林がことさら災害に強いように、潜在自然植生こそは、時間と共に多様な機能を果たす環境保全林といわれています。
潜在自然植生と日本の森林事情
ある場所において、いっさいの人為的干渉を停止したとき、その立地気候がどのような植生を支える潜在能力を持っているかという植物生態学上の概念を潜在自然植生といいます。1956年、ドイツの植物学者ラインホルト・チュクセンによって提唱され、日本では1970年代の自然保護運動の高まりの中、チュクセンの弟子である宮脇昭によって広められました。
日本の森林の推移
今でこそ杉林や落葉広葉樹林の多い日本ですが、縄文時代には北海道・東北と本州の標高の高い地域を除いては常緑広葉樹が繁茂していたといいます。けれども、一年中鬱蒼と薄暗く、落葉樹のように落ち葉が堆肥となるわけでなく、針葉樹のように真直な建築材にもなりにくい常緑広葉樹は、人の生活の繁栄と共に放逐されていきます。薪炭林としての里山は落葉広葉樹林となり、お金になるからと山の斜面にスギやヒノキが植林されていったのは、そう遠い昔のことではありません。やがてエネルギー革命が訪れ、里山に人の手が入らなくなると在来の自然植生であった常緑広葉樹が盛り返してきます。外材輸入で木材価格が暴落すると林業離れが進み、人工林も放置されました。
森林の最も安定した状態とは
人間は勝手な生き物です。里山林に光を入れるために常緑広葉樹の繁茂を許してはならないといい、放置された人工林が土砂災害被害を甚大にしていると嘆きます。除伐・間伐により森に光を入れ下層植生を育てなければならない。若木に二酸化炭素を吸わせ温暖化を防ぎ、災害に強い持続可能な社会としなければならない、と声高に叫びます。
里山や山林にとって、もっとも風水害に強く安定した状態とは、本来そこにあった植生、潜在自然植生に他なりません。今ある植生のほとんどは、伐採や植林、放牧・汚染など、何らかの人為的影響を受けている状態です。これを代償植生といいます。この現状は、人為的干渉の前の原植生と、人為的干渉による代植生との混在した状態であると考えられます。
なぜ潜在自然植生なのか
激減する動植物に温暖化、自然災害による二次被害の、年を追うごとの甚大さを鑑みれば、人の手の入る前の森林がいかに多様な生物を育み、水や空気を浄化し、人の暮らしに潤いや安らぎを与えてくれたかは明白です。在来の多様な樹種の根が土を掴み、土砂災害に強い土壌を形成してきました。樹々それぞれの個性が異なれば、壊滅的な打撃を受けることなく森は容易に再生します。古代文明の滅亡原因は自然生態系の喪失といわれています。
三大文明の滅亡原因
今でこそ諸説ありますが、われわれ日本人は、人類最初の大きな文明としてメソポタミア・インダス・エジプト・黄河文明を四大文明と学びました。それぞれに大きな国家として数世紀にわたり栄えましたが黄河文明を除き滅亡します。その原因は環境破壊に他なりません。それぞれに栄え、人口が増すにつれ農耕や牧畜が盛んになり、森林破壊が進みました。やがて森林の再生が難しくなるとエネルギーが枯渇、気候変動と共に食糧不足に陥ります。石炭という新しいエネルギーを発見した黄河文明だけが永らえ、三大文明は滅びます。まるでなぞるかのような現代。身の回りの植生に、改めて目を向ける次第です。
東日本大震災の教訓
白砂青松の景勝地として有名だった陸前高田市の7万本の松並木。人の手で350年もの長い年月をかけて植林されてきた松並木は、東日本大震災の津波により、いともたやすく流されてしまいました。奇跡の一本松と涙を誘った最後の1本も枯れ果て、人の350年の歳月が文字通り水泡に帰す自然の猛威を思い知らされた人は多かったことでしょう。流された松は津波に踊り、他の建物を破壊したといいます。防風・防砂・防塩を目的として人の生活を守るために植林された松でした。
松林だけでなく多くの森林が流された中、イオン多賀城店の森は倒れることなく津波をくい止める役割を果たしたといいます。潜在自然植生を推進する宮脇昭先生が植樹指導したタブノキ・シイノキの混ざった常緑広葉樹林です。松の木の根は浅く横に張るといいます。対して、タブノキなどの常緑広葉樹は地下に真っすぐ3~5メートルも根を伸ばし、簡単には倒れません。常緑広葉樹の海岸林だったら、と回顧する人は少なくないでしょう。
混植・密植型の宮脇方式
宮脇昭先生は、潜在自然植生を提唱したチュクセンに師事し、1970年代から精力的にその普及活動を展開してきた世界的な生態学者です。
ポット苗による土地本来の植生を中心とした「宮脇方式」と呼ばれる混植・密植型の植樹法は、1990年の新日本製鉄大分製鉄所での成功を皮切りに全国に拡がりを見せます。1990年には再生不可能といわれたマレーシアの熱帯雨林の再生に成功。1998年からは中国万里の長城でのモウコナラの植樹プロジェクトを進めてきました。
台風や地震、豪雨などの自然災害による土砂崩れや洪水などの二次災害は、人の手の入った二次林や単一樹種の人工林が多いからと看破し、マツクイムシなどの病害虫被害に関しても本来は山頂部に自生していた松を人間が移植し、広げたために発生したものであると一刀両断。
「森をつくる第一の基本は、土地の条件によって潜在自然植生の主木が異なるため、まずは主木となる樹種を選ぶこと」と語ります。
潜在自然植生の主木をどのように見つけるか
残存自然植生を中心とした現存植生と、残存木・代替植生・土地利用形態・土壌断面の比較から総合的に判定するとされています。近隣に鎮守の森や屋敷林があれば大いに参考になるでしょう。高山や離島などの隔離された自然景観域での現存植生は、そのまま潜在自然植生である可能性は高いといえます。けれども、古くから持続的に人が干渉している山地で、自然植生の回復の難しい山頂部に至っては、現存の代償植生と自然植生が複雑に錯綜し判別は難しいでしょう。
宮脇昭先生は、日本列島の潜在自然植生の主木は冬の越し方でわかる、といいます。すなわち、関東以西の常緑広葉樹林帯においてはシイやカシ、タブノキ等が主木と考えられ、信州から東北、北海道にかけての落葉広葉樹林帯では、ミズナラ・カシワ、ブナやイタヤカエデなどが挙げられます。
潜在自然植生と循環型社会への取り組み
潜在自然植生への関心は高まり、さまざまな面で在来種を活かす取り組みがなされています。山間部における法面緑や街路樹に在来植生が用いられるようになりました。木製品の販売を通じて収益の一部を森林保全活動へ還元する取り組みをしている企業もあります。今できることは何なのか、それぞれの立ち位置から見える木があるはずです。